おはようございます!iPhone修理のSmaphoDr.大阪・東梅田店です!!

以前、ブログで携帯機器の発達による、パソコンとiPhoneの連帯、職場外で可能な仕事が多くなってきたことは書きました。
その時は、カフェでコーヒー片手に働く外資系企業的な外観の方、あるいは時時間の制限や場所を選ばず働くノマドワーカーの方をお見かけし、そういった働き方を可能にしたiPhoneの機能、Apple製品同士の連携に感心し、ただただ、かっこいいな、クールだな、と思いましたが、ここ最近、そのクールな方々が、iPhoneを破損してしまい、データがないと死活問題だとご来店されることがたて続きにあり、クールを通り越してシュールであると感じるようになりました。
一つ一つだけでも小難しいツールを使い、連携させることで一足す一が二ではなく、幾何学的な結果をもたらしている方が、初歩的なデータのバックアップを取り忘れている、あるいは、便利で、繊細なiPhoneが壊れるかもしれない、という可能性に関して驚くほど無関心な点。
このどこかしら可笑しみのある皮肉は、見回せば、色々な切り口に見られる、あまり、便利になりすぎてはいけない、ということに繋がるのではないでしょうか?
例えば、コンピュータは優秀になりすぎて、何十年後かには人間の仕事がなくなる、あるいは、人間がいらなくなる。
いつ壊れてしまうか分からない、いつバグが起きるか分からない、一昔前のコンピュータなら、バックアップの取り忘れなどなかったとは言いませんが、その数はかなり少なかったはずです。
携帯電話は、落としたところでかすり傷がつく程度で、壊れることなど滅多になかったはずです。
機能的に、便利になりすぎるため、逆に不便になってしまってる部分は、少なからずあるはずです。
もちろん、だからといって確固たる信念/根拠もなしに懐古的になったり、アナクロニズムに走るというのもあまり関心はしません。
ピカソが言うように、人は、ノスタルジーに囚われるべきではありません。
そもそも、一度知ってしまった今の便利さは中々手放せないでしょう。
重要なのは、向き合い方です。
依存ではなく、共存するべきなのです。