こんにちわ!!

iPhone修理のSmaphoDr.大阪・東梅田です!!
さあ、いよいよ新型iPhoneの発売が近くなっていました!
フレームに液体金属を使うだの、ガラスの筐体を使うだの、
噂は千里を駆け巡る勢いでネット上を飛び交っていますが、
皆様、いかがお考えでしょうか?
 
Appleとしては、道具を超えるものを作りたい、という根幹があるのでしょうが、
私個人としては”有能すぎる執事は主人を堕落させる”というイギリスの哲学者の考えを支持したいところです。
人は、なにかに依存する動物ではあります。恋愛、友情、宗教、家族、思い出といった人間の根源に関わるものから、
煙草やお酒といったソフトドラッグ、そして、インターネット、アニメ、SNSといった今日なもの。
特にインターネットの発展は目覚ましく、小学生の頃、ポケベルと公衆電話と心のメール
しか連絡手段のなかった私から見れば、SF小説の世界が現実になった感があります。
インターネットという存在がそれを可能にしてきました。
インターネットと、幾人かのパイオニア/天才たちがこれらを可能にしてきました。
それは偉大且つ壮大なことです。
しかし、あまりに早い進歩は、時に、人を迷わせ、停滞を招きます。
インターネットを使えば、居ながらにして、世界中と繋がることが可能です。
ラインやTwitter等のSNSを使えば世界中の人間と意見を交わせる。世界に向けて、自分の意見を発信できる。
ネット環境が整えば、趣味や、自分の好きな事−自分の世界に好きなだけ浸れる。
見回せば、自分の世界に囲まれ、気がつかないうちに身動きが取れなくなっている人で溢れています。
自分の発した言葉たち、向けられた言葉たちに縛られ、そうしなければ、自分という存在を感じれない人。
ネットで誰かと繋がっているだけで満足して、実際は誰とも繋がっていない、繋がることが億劫なのか、(あまりにステレオタイプな表現ですが)怖いのか、あるいは、誰とも繋がらない、孤立した存在であることに気がつかない人。
ネットという、世界共通の、誰とでも繋がれるものがありながら、その便利さ、自由さ、広大さに縛られ、閉じ込められた、誰とも繋がらない『個』の集まったコミュニティ。ムーブメントですらない。
道具であるはずのiPhone/インターネットに依存している状況。
一歩踏み出すべきかもしれません。
もちろん、インターネットが存在する前から人は多くのものに依存してきましたし、インターネットがなくなろうと、人はまた、新たな依存すべきものを探すでしょう。だからこそ、一度客観的になるべきです。
インターネットは、間口が広すぎ、また、私たちの生活に密着しすぎています。
扱うことと依存すること。その違いを考える時が来たと、私は思います。
扱うことと依存すること、